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2008年3月

2008年3月25日 (火)

謎だらけのデッカオーデション

Decca

謎だらけのデッカテープは幾つもの海賊CD LPが存在してます。

オーデションで15曲も演奏するはずが無く、おまけにエコーを使っている(当時はエコーはかなりの高額なものでオーデションごときで使えるわけが無かった が**)

という訳でオーデションはコロンビア レコードやパイ レコードでもオーデションが行われたという見解もある。

海賊レコード業者はピートベストの親族から入手し、ピート曰く、15曲も演奏していない

と 云っていることから謎とされています。

1964年にピートベストはデッカレコードと契約をし、その時貰ったんだと云う説もあります

音質はプロが録音しているので大変良いです。

このレコードには12曲入りです、他のCDなどはもっと曲が入っています。

tree cool cats    crying,waiting hoping   besame mucho  searchin'   

the sheik of araby    money    to know him is to love him

take good care of my baby    memphis tennessee

sure to fall    'till there was you    septenber in the rain

ビートルストーリーつづき

ブライアンエプスタインはリヴァプールで家具チェーン店を経営している資産家の息子だった

この当時はネムズレコード店を任されており。ある時 数人のヤングがビートルズのマイボニーを買いにきた。

在庫は無かったが耳慣れぬグループに興味を持ち、近くのキャバーンクラブでビートルズのライヴを観て一目ぼれする。

幾度となくキャバンに通い12月3日に彼らを事務所に招いてマネージメントを申しこんだ

12月10日に仮契約、翌年の1月24日に正式契約をした。

そして地方のレコード店オーナーの肩書きが有効に作用する。

1月1日デッカレコードでオーデションを受ける。

初のレコード会社オーデションとあって、ビートルはあがりまくって実力を発揮出来なかったが、

担当者の反応は良く 期待をしてたが3月に来た通知は不合格だった。

これでデッカレコードは一生悔やむことになる。 つづく***

今回はモバイル専用の

実録恐怖のホラーサイト

心霊スポットですぞ

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2008年3月21日 (金)

1960のビートルたち

Quarrymen0001

hallelujah I love her so     one after 909     I'll allways be in love with youyou'll  be mine    matchbox     wildcat    somedsys   looking glass  I'll follow the sun       one after 909     well darling   you must write every day  movin' groovin   that's when your hartaches begin   hollo little girl  world is waiting for the sunrise   that'll be the day    sweet georgibrown I saw her standing there   red hot

家での練習風景が16曲 ステユ サトクリフがベースと謳っています

何曲かはアンソロジーシリーズに収録されています。

京都の中古レコード屋で1000円でした。

音質はこんなもんでしょう聞けますが良くはないです。

ダイヤモンドの原石と云う様な代物で資料的なものです。

1958年1960年、1962年1962年ライヴ

まぎれも無くポールの声だったりジョンの声が聞けます。

ビートル ストーリー4

1961年5月になると 大きなチャンスが到来、トップテン出演者のトニー シェリダンのバックバンドとしてポリドールと3年間のレコーデイング契約を結ぶ

6月にドイツでマイボニーを発表、ステユは音楽的才能の限界を感じ脱退し、ポールがベース担当となる。

映画バックビートでこの時の事が観れる。

ハンブルグとリヴァプールで着々と人気を得る、14週間のハンブルグ公演を終えてキャバンで活動

11月9日にキャバンクラブへ1人の紳士が現れる、彼こそ敏腕マネージャー ブライアン エプスタインだった. つづく

今回は夢占いの解釈です。

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2008年3月20日 (木)

BBC

Live at the BBC

Live at the BBC

アーティスト:The Beatles

Live at the BBC

バッチリの演奏と渋い曲、素晴らしいハーモニー全てが揃っています。

ライヴだったり半分カラオケだったりでMCしゃべりインタヴューなど入っています

ふるーいラジオ番組みたいでけっこう楽しく聞けます。

ビートルストーリー3

カイザーケラーはビートルズ以外にもリヴァプール出身のハリケーンズがいた、ドラムはリンゴスターであった。

アストリッド キルヘア(マシュルームヘアと襟なしジャケット発案者)とクラウスヴォーアマン(リヴォルバーのジャケット作者)と出会うのもこの時期。

彼らはこの異質で斬新なサウンドとステージングの虜となる。

1960年11月にジョージがビザなしで強制送還、ギャラもめでトップテンクラブへ移籍 直後12月にはポールと ピート(放火容疑)で国外退去を喰らう。トップテン オーナーの報復だった。

リヴァプールに戻った一行はキャバンクラブでステージに出演

ここはロックバンドあこがれの舞台だった

彼らは292回のステージをこなしたのだ

1961年3月再びハンブルグ トップテンに出演この時にマシュルームカットが生まれる

アストリッドはリーゼントが大嫌いだったのでこうなる。

襟なしスーツは彼女がピエールカルダンをアレンジして作ったものだった。

風水はこちら→風水 開運金運アップ風水です。

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2008年3月17日 (月)

スタークラブ ライブ

B1 初期のクラブでのライブ62年12月31日

偉大になる前のステージで気合といいパワフルでかなきり声もなく選曲もR&Bの黒っぽい曲目白押しの超カッコイイライブです。

身近に感じる音像はクラブ録音の賜物です、ビッグになるとこうは行きません

ジャケットは色々ありますがスタークラブ62ライヴと云う文字があればゲットしましょう。

1962年10月5日マネージャーブライアン・エプスタインの元で、念願のレコード・デビュー

エプスタインの買い込みあり 順調にチャートインしてから、11月セカンド・シングルを録音

英国内で出演する会場の格も上がりつつあった年末ですが (西)ドイツの港町ハンブルグへの巡業契約は残っていました。

最初に出演した時は当地でのトップクラスのロック演奏系クラヴで喜んだビートルズですが全く魅力のない仕事になっていた

伝説は、
このステージを家庭用のテープ・レコーダーで録音テープ存在。

ビートルズが成功後に,エプスタインに買取要求を拒否され,その後は物置に放置,

1977年に テープの価値に気付いた人物達により突然レコード化(現在はすべて廃盤)

レコード化するにあたっては、保管状態の悪さもあって、編集 ドイツ初盤は2枚組26曲で発売

後に発売された米盤2枚組では4曲が入れ替わって登場。

元テープを知ることができないファン達は、大晦日31日に演奏された合計30曲を収録した音源と思いこんでいました、その後、ブートやサンプラーテープ等でさらに他の演奏も発見。

1997年に発行された研究本『FROM CAVERN TO STAR CLUB 1957-1962』
で初めて、3日のステージをそれぞれ録音合計3本のテープから構成され事実が推理され発表されました

誤解が多く謎の多いライヴで、リンゴがドラムのデビュー直後のビートルズ

エプスタインの定める枠に収まっていないワイルドなステージを貴重な録音

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2008年3月12日 (水)

with the beatles

With the Beatles

With the Beatles

アーティスト:The Beatles

With the Beatles

この有名なジャケットは、ドサ回り時代のハンブルグで知り合ったアストリッド キルヒヘアの手法をまねたハーフシャドー効果を使ったモノクロ写真の傑作です。

ツアー合間に、食堂で当時流行のタートルネックを着た4人を撮影したものです。

R&Bを基盤にしたこの作品はタムラモータウン系のスローナンバーが多くカッコイイ渋さが出ていて

ファンも多いです。黒っぽいサウンドと歌のこのアルバムはオリジナル8曲、カヴァー6曲。

ビートルストーリー2

カレッジの教授も一目置くほどの才能を持ったステウは画家の卵で美術展に出品し獲得した賞金で65ポンドのベースギターを買った。

決まった名前も無くバンドをしていた彼らはかぶと虫と音楽のビートを混ぜてBEATLESと名乗った。1960年の事

何度か出演していたコーヒーバー経営者のアラン ウイリアムズにマネージャーをしてもらいこの夏にハンブルグ行きの話が持ち上がった。

巡業目前にポールの先輩でカスバクラブの女主人の息子ピート ベストがドラマーとなった。

ハンブルグ入りした彼らはバンビ キノと言う汚い部屋に寝泊りいながら、インドラ クラブに出演

その後営業停止になってカイザー ケラーに移って演奏する。

客の受けが悪かったのでマック ショーでド派手に動き回り破天荒なぶっ飛びステージをかまして

バカ受けをする。・・・・つづく

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2008年3月11日 (火)

プリーズ プリーズ ミー

Please Please Me

Please Please Me

アーティスト:The Beatles

Please Please Me

このデヴューアルバムは1963年に発表されました。ヴォーカルグループとしての自負が感じられ、歌と演奏力がものを云うパワフルで洗練された作品です。

ビートル ストーリー

1957年17才のジョン レノンは、ウールトン教区教会でのガーデンパーテイーに出演、この時、ポール14才に出会う

この日の録音テープが94年、奇跡的に発見され、ブートレッグCDに収録されているタイトルはputtin' on the styleといい

EMIレコード会社が入手! (アンソロジーシリーズ)に収録されると予想されたがボツになりました。

音質は悪いですがここで聞かれるヴォーカルは紛れも無く17才のジョンです。

そしてポールがジョージ(13才)をジョンに会わすし、コリン ハンソンというドラマーが参加して1958年ビートルズの前身である

クオリーメンが指導開始。この年の夏にジョンの母ジュリアが非番のオマワリに車で轢き殺される

その事件をきっかけにポール(母を癌で亡くしている)と同じ悲しみを共有、二人の絆は一層深まる

この頃から作曲に取り組む(ラブ ミー ドウー、ONE アフター909)がある。

そして1年以上ただ食いを条件にパーテイーで演奏活動、その後カスバ クラブ(ライブハウス)で定期的に出演する。

金のこじれでメンバーがちょこちょこ変わってジョンのマブ連れステュ サトクリフがベースで参加・・・つづく

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2008年3月 5日 (水)

全てはここから始まった不良の道

ビートルズからレディオヘッドまでギターロックの魅力と裏話をおもしろおかしく綴ったブログです。

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